寿司摊
【读音】すしやたい
【英文名】Sushi Yatai
すし屋台とは、江戸時代後期に普及した移動式の寿司販売形態のこと。握り寿司が文政年間(1820年代)に誕生すると、天ぷらや蕎麦と並ぶ江戸の屋台料理として広まった。
当時の江戸は人口100万を超える大都市で、単身男性の人口比率が高く、手軽な外食への需要が大きかった。狭い町人地では店舗を構える土地が限られていたため、屋台形式の営業が主流となった。『守貞漫稿』には、繁華街の各町に寿司や天ぷらの屋台が3〜4軒ずつ並んでいたと記されている。
屋台の標準的な大きさは間口約180cm·奥行き約90cmで、職人は半畳ほどの畳に座って握るスタイルだった。立ち仕事への転換は関東大震災(1923年)以降とされる。当時の握り寿司は現在の2〜3倍の大きさがあり、1貫あたり8文(現在の約100円相当)で提供されていた。
昭和に入ると交通法や衛生規制の強化により屋台は減少し、昭和14〜15年頃にはほぼ姿を消した。戦後はGHQの飲食営業緊急措置令により寿司店全体が営業困難となったが、客が持参した米を加工するという「委託加工」方式で営業を継続した店もあった。こうした経緯を経て、寿司は屋台から店舗型のカウンター商売へと変遷していった。


