屋台寿司
【よみ】やたいずし
【English Name】Street stall sushi
路上に設えた移動式の店で寿司を売る屋台文化は、江戸時代に花開いた。明暦の大火(1657年)が江戸に大量の出稼ぎ労働者を呼び込んだことで、手早く腹を満たせる外食の需要が一気に高まった。その受け皿となったのが、握り寿司・蕎麦・天ぷらなど短時間で仕上がる屋台料理だった。
屋台が軒を並べたのは、人が絶えず行き交う寺社門前・広小路・火除地といった場所だった。当時の握り寿司はおにぎりほどの大きさがあり、現代のものよりずっと大振りだったという。湯屋の帰り道に一つ二つつまむ気軽な一品であり、現代でいうファストフードの先駆けにあたる食べ物だった。
天保末年(1844年頃)になると、稲荷寿司を天秤棒で担いで町を売り歩く振り売りが出現した。嘉永5年(1852年)刊行の『近世商売尽狂歌合』には、細長い稲荷寿司を切り分けて客に渡す屋台の様子が挿絵で描き残されている。同時期、巻き寿司も市中に定着し広く親しまれるようになっていた。
こうした屋台文化に終止符を打ったのは、戦後の高度成長期に進んだ衛生規制の強化だった。1964年の東京オリンピック開催を機に不衛生とみなされた屋台は都市部から一掃され、寿司を路上で売る光景は消えた。その後、寿司は店舗型の飲食店へと収まり、徐々に高級料理としての格を備えていくことになる。


