江戸前寿司とは?江戸前寿司の成り立ちや特徴を解説
今や「SUSHI」として世界中で人気の日本の寿司。
外国人を対象にした好きな日本食アンケートで、寿司は常にTOP5にランキングする人気メニューです。
ミツカンが発表した日本人へのアンケート結果でも、40%以上の人が最も好きな和食として寿司をあげています。
庶民的なチェーン店の回転寿司から高級店まで形態は様々ですが、寿司屋は日本全国どこにでもあると言っても過言ではありません。
スーパーの総菜コーナーにも寿司は必ず並んでいますよね。
そんな日本人にお馴染みの寿司ですが、「江戸前寿司」という言葉については、「江戸前って何?江戸前と言うくらいだから、江戸時代と関係あるの?」と思った人もいるかもしれません。
今回は、知っているようで意外と知らない「江戸前寿司とは何か」について、江戸前寿司の成り立ちにふれながらご紹介します!
すしの誕生
江戸前寿司についてお話しする前に、少しだけ寿司の歴史を見てみましょう。歴史を覗いてみると、江戸前寿司の特徴がより分かりやすくなります。
まず、寿司が日本の文献に登場するのは奈良時代になってからです。「寿司」と言っても、当時の寿司は「なれずし(熟れ鮨、馴れ鮨)」と呼ばれる、魚を米や麹に漬け込んで発酵させて作る一種の保存食。
なれずしは東南アジアから中国、朝鮮半島へ渡り、稲作文化とともに日本に伝えられたと考えられていますが、現在の寿司とは大きく異なり、食べるのは魚だけで、一緒に漬け込んだ米は発酵してドロドロに溶けてしまうため、食べずに捨てられていました。
なれずしから箱ずし、押しずしへ
室町時代になると、米を捨てずに食べることのできる「なまなれ」と呼ばれる寿司が誕生します。
「なまなれ」は、魚と一緒に漬けた米が溶けてしまう前に、米に酸味がつく程度で発酵をとめ、魚と米を一緒に食べられるようにしました。
「なまなれ」は賞味期限が短くなった反面、発酵期間が短くなり米も食べられるようになりました。それまで「魚の保存食」だった寿司が、ご飯も食べられる「飯料理」へと変わったのです。
やがて、寿司は箱に酢飯を詰めて、具を置いて圧力を加えて作る箱ずし、押しずしとして関西方面を中心に発展していきます。その後、巻き寿司や棒寿司、バッテラ寿司などが関西地方で広まり関西寿司として親しまれるようになりました。
江戸前寿司の誕生
江戸時代になると、関西方面で生まれた箱ずしや押しずしが江戸にも伝わり、1680年頃には江戸の町にも寿司屋ができました。
やがて、1810年頃になると、押して漬けることにより時間がかかること、魚の脂味が抜けてしまうことなどを嫌った華屋与兵衛が、握ってすぐに食べられる現代のような握り寿司を「握早漬(にぎりはやづけ)」として売り出しました。寿司屋の厨房のことをツケバというのは、当時は寿司をつくることを「漬ける」と言ったからなんですね。
与兵衛の作った「握早漬」は「握り寿司」として、一世を風靡することになりますが、時を同じくして、江戸中に屋台スタイルを中心に多くの寿司屋が誕生しました。そして、主に関西の方で大成していた押しずしなどの「関西寿司」と区別するために「江戸前寿司」と呼ばれるようになります。
当時の江戸前寿司は、大きさが今の2.5倍程度というおにぎりのような大きさで、シャリには粕酢(赤酢)を使うことが多かったため、酢飯には赤みがありました。現在でも伝統的な江戸前寿司にこだわって赤酢を使う寿司屋も多くあります。
「江戸前」の意味
このように、従来のなれずしや箱ずしとは異なる形で江戸で生まれた江戸前寿司ですが、江戸前寿司の「江戸前」とは、文字通り江戸の前にある海の魚介類を使っているということから由来しています。
ただし、当時の江戸の前の海とは、江戸城の前あたりの東京湾の中でも一部の海域で、現代とは異なると考えられています。
現代における「江戸前」は、2005年に水産庁によって東京湾全体と定義されているので、狭義の「江戸前」は「東京湾の新鮮な魚介類を使った」という意味になります。
全国に広がる江戸前寿司
元来は江戸の郷土寿司だった江戸前寿司でしたが、江戸で人気を博すと、大阪の寿司屋も「松の鮓」をはじめ、握り寿司スタイルを始める寿司屋が多くなりました。
また、明治時代になると、政府が東京の文化を全国に広める政策をとり、それにともなって江戸前寿司も全国に広がっていきます。
さらに、関東大震災や太平洋戦争などによって東京の寿司職人たちが地方に疎開してお店を出したことや、戦後の「委託加工」という制度によって寿司屋が数少ない営業できる飲食店になったことなどによって、江戸前寿司はさらに全国に広まっていきました。
こうして全国に広まった江戸前寿司ですが、地方によって特徴があります。
たとえば、関西地方の寿司屋のシャリは関東地方の寿司屋のシャリよりも甘めに作られます。これは、関西地方で広まった押し寿司などの関西寿司が、ネタに対してシャリの量が多く、さらに作ってから食べるまでの時間が長かったからです。
当時、シャリを最後までおいしく食べるために、またご飯が干からびるのを防ぐためにシャリの砂糖を多めに配合したのです。その名残で、現在でも関西の寿司屋のシャリは甘めに作られています。
かつてから、〆たり漬けにしたりとネタに味付けを加えることが多い江戸前寿司が主流である関東地方の寿司屋のシャリはあっさりしたものになっています。
また、江戸前寿司を特徴づけるネタとしては、アナゴやコハダ、漬けマグロなどが挙げられますが、なかでも、関東地方の寿司屋で欠かせないのがマグロです。どれだけのマグロを扱っているかがお店のランクにも関わってくるほどです。
一方、関西地方では新鮮な白身魚が手に入りやすいことから、白身魚にこだわりのある寿司屋が多い傾向があります。ネタの味をそのまま楽しむ方法で提供されるのも関西地方の寿司屋の特徴。「そのままお召し上がりください」など素材の味をそのまま楽しめる提供の仕方もよく目にしますね。
江戸前寿司の特徴
こうして時と共に全国に広まった江戸前寿司ですが、江戸前寿司の最大の特徴は、魚を酢や塩で〆たり、煮たり焼いたりして熱を加えたり、ツメを塗ったりと寿司だねに一仕事加えるところにあります。
これは、まだ冷蔵庫がなかった江戸時代に、そのままではすぐに傷んでしまう魚介を美味しく食べるために生み出された保存食としての知恵であり、当時の職人たちの工夫でした。
光り物好きにはたまらないサバやコハダ、キスなど傷みやすい魚は、今でも酢〆にされることが多いですね。これも江戸前寿司の伝統的な手法です。当時はアジやサヨリ、白身魚や貝類なども酢で〆て食べていたといわれています。
現在では魚を保存する方法が発達して、鮮魚をそのまま握り寿司にすることが多くなりましたが、伝統を重んじる寿司屋では、今でも一仕事施した江戸前握りを提供しています。
江戸前寿司は寿司の概念を覆した革命児
いかがでしたか。私たちが普段何気なく食べている握り寿司は、もともとは江戸前寿司と呼ばれる江戸の郷土料理でしたが、それまでの寿司の概念を覆した革命的な寿司ともいえるものでした。
今では日本を代表する世界的な料理の一つとなり、当時の形とは異なる部分もありますが、魚介類などの寿司だねを美味しく粋に食べたいという江戸っ子の想いは、これからも様々な形で世界の寿司好きに受け継がれていくに違いありません。